谷崎潤一郎「刺青」より~美しく官能的な文章に酔う~

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谷崎潤一郎。

その名の響きだけで、なにかエロティックで背徳めいたものを感じさせる。

学生時代はそのイメージだけでなんとなく敬遠していたものだが、大人になってオーディオブックで「刺青」を聞いたのをきっかけにハマッてしまった。

その性や官能にフォーカスした作品群は、親や教師が子供に勧める類の文学ではないだろう。また過去にも未来にも教科書の教材として扱われることもないかもしれない。

しかしそれでいて近代日本文学を代表する作家であることは間違いなく、それは彼の作品に触れれば一目瞭然だろう。

その谷崎潤一郎の処女作「刺青」から、印象的な部分を抜粋し紹介していく。

美しく官能的な日本語が凝縮された谷崎処女作「刺青」

女定九郎、女自雷也、女鳴神、―――当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。

谷崎文学を象徴する一節。谷崎の最大の魅力は、その潔いほどの耽美主義にあると思う。

この若い刺青師の心には、人知らぬ快楽と宿願とが潜んで居た。

物語は清吉という若い刺青師を中心に進んでいくが、彼が内に秘めたサディズムとマゾヒズムとがストーリーの主軸となる。

鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。~(中略)~この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。この足を持つ女こそは、彼が永年たずねあぐんだ、女の中の女であろうと思われた。

谷崎はいわゆる「足フェチ」としても有名だが、処女作にしてすでに足フェチぶり全開。

 年頃は漸う十六か七かと思われたが、その娘の顔は、不思議にも長い月日を色里に暮らして、幾十人の男の魂を弄んだ年増のように物凄く整って居た。それは国中の罪と財との流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代り死に代ったみめ麗しい多くの男女の、夢の数々から生れ出づべき器量であった。

女の顔を形容するのにも、あまりに独特な谷崎節。

若い刺青師の霊(こころ)は墨汁の中に溶けて、皮膚に滲んだ。焼酎に交ぜて刺り込む琉球朱の一滴々々は、彼の命のしたゝりであった。彼は其処に我が魂の色を見た。

己の魂のすべてを女の肌に注ぎ込もうとする清吉。

「親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨てゝしまいました。―――お前さんは真先に私の肥料(こやし)になったんだねえ」 と、女は剣のような瞳を輝かした。その耳には凱歌の声がひゞいて居た。

「帰る前にもう一遍、その刺青を見せてくれ」 清吉はこう云った。 女は黙って頷いて肌を脱いた。折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした。

背一面に女郎蜘蛛の刺青を施された女の顔は、臆病さを捨てて美しく輝く。

「刺青」に関してはあまり多くを語るべきではないかもしれない。谷崎の文学的傾向や魅力が凝縮されたこの処女作にふれて、美しく流麗な日本語にただただ打ちのめされて、その文体と官能に酔うべき作品である。

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