「色気」と「エロ」は違う。~美輪明宏~

「色気」「エロ」とは違う。
洋服を着てても漂うものが「色気」
洋服を着たら無くなるものが「エロ」

~「美輪明宏の薔薇色の日曜日」より~

美輪「色気とエロは違う。色気というのは「気」ですからね。気というのはそこはかとなく漂うものですから。空気と同じ。洋服を十重に二十重に厳重に着てても漂うもの。後ろ姿でもそれは出てくる。これが色気。洋服を着たら無くなるもの、これがエロですね。」

拙者、今まで色気とエロを混同しておりました。というより両者の違いを深く考えたことは御座いませんでしたが、三輪さんの言葉に妙に得心致しました。

と申しますのも、多くの人がこれに当て嵌まる思いを一度は感じたことがあると思われるからです。

男の立場から論じさせていただくと、「エロい女」の代名詞といえばAV女優といえましょう。
語弊があるやもしれませぬが、「エロ」を売りにしているという意味ではその道の代表格と申しても差し支えないと存じます。

また世間一般において露出が多めであったり、自らの体をアピールすることに熱心だったりする、「エロ」を一つの武器としている女性も一定数存在すると存じます。

しかしそんな女性に限って、地味メイクで普通の服装をすると「え、普通じゃね?」と思うことが多いのも確かな事実であります。
「やべー、コイツめっちゃエロイわ」と感じられたAV女優の普段着姿をみて「そんなでもねえか。普通だわ。」と興覚めした経験のある諸兄も多いことと存じます。

これが三輪さんのおっしゃっておられるところの「洋服を着たら無くなる」ということの現れであると申せましょう。

一方でたとえ地味な装いであっても、「狙ったエロさ」を演出しておらずとも、自然体のままで異性を強く惹きつける魅力を持った人がいることも事実であります。

容姿や社交性が特別優れているわけでもなく、服装も控えめであるにも関わらず、なんとなく異性を惹きつける「気」のようなものを漂わせている人。これがいわゆる「色気」を持った人であると申せましょう。

これが三輪さんのおっしゃっておられるところの「洋服を着ていても漂うもの」であると申せましょう。

それは肉体の持つ外観的な官能性から生ずるものとは一線を画すものであり、人間性や気品、教養などから生まれ出ずる、目に見えないまさに「気」であると存じます。
そこには性的な魅力だけではなく、「この人とお近づきになりたい」というような、もっとトータル的な不思議な魅力が存在します。

エロは下半身的欲望に訴えかけるものであり、色気は全人的欲求に訴えかけるものと言い換えることができるかもしれません。

ここで申しておきたいのは、エロはエロで素晴らしいものであるということです。エロの要素が無い世界はおそらくひどく味気ないものになるでありましょう。

エロを自身の一つの武器にすることも間違いではなく、また効果的でもあることは論を待たずとも明白であります。

しかし三輪さんの言葉を借りるならば、それだけでは大和撫子(やまとなでしこ)がすたるというもの。
またエロさは年を取っても末永く続くといった性質のものでは御座いません。

やはり内面からにじみ出る「色気」をその身に纏ってこそ真の意味での美人、麗人であり、また良き恋、良き出会いに巡り合うことが期待できましょう。

比較的容易に演出可能なエロさと違って、色気は一朝一夕で出せるものでは御座いませんが、だからこそ磨き甲斐があると申せましょう。

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