貴重な一人の時間を「バリー・リンドン」に費やす

「バリー・リンドン」1975年 イギリス

かのスタンリー・キューブリック監督の映画としてその名は知っていても、特別観たいと思っていたわけではない。なんとなく古そうな映画だし、そのうち機会があれば観て見ようくらいに思っていたが、ようやく僕にもその時が訪れた。

最近は仕事も忙しく、家に帰ってからや休日は4歳と2歳の子供の世話と、ゆっくり映画なんか観ている時間が持てない日々が続いている。

近所のTSUTAYAでレンタルしてくるのは、いつもアンパンマンやドラエモン、トミカなんかの子供のためのDVDばかりで、我が家のテレビにアニメかEテレ以外が映ることは稀である。

先週の日曜日。妻は仕事に出かけ、二人の子供は実家に預けることができ、貴重な一人の時間ができた。男が一人の時間にやることといえば…。まあ人それぞれだろう。

どこかに出掛けたいところだが、積雪がひどく路面状況は最悪。まずフロに一人でゆっくりと浸かってから、コンビニでお菓子を買って帰るともう昼過ぎ。

あまり長い時間、子供たちを実家に預けておくのは両親の不興を買う恐れがあるので、いい加減な時間には迎えに行かなければならない。この限られた貴重な時間を何に使うか。

先日、子どもが好きなアンパンマンと一緒に、もし暇な時間ができれば観ようと思ってふと手に取った「バリー・リンドン」をレンタルしていることを思い出して観始めた。

話は変わるが、僕が絶対の自信を持っている特技の一つが「その映画の出来をワンシーン見ただけで判断できる」というものだ。
どの場面でもワンカットの放つ雰囲気を見れば(あくまでも個人的な基準によるが)良作か駄作かだいたいわかるし、その判定が外れたことはない。

「バリー・リンドン」の冒頭のワンシーンを見た瞬間、確信した。これは文句なしに傑作であると。(言われるまでもないだろうが)

舞台は18世紀半ばのヨーロッパで、主人公レドモンド・バリーの一代記である。

映画は二部構成になっており、第一部「レドモンド・バリーが如何様にしてバリー・リンドンの暮しと称号をわがものとするに至ったか」ではバリーの青年時代から成り上がっていく過程を描き、第二部「バリー・リンドンの身にふりかかりし不幸と災難の数々」では、富と栄光を手にしたバリーの苦難を描く。

バリー1

まず冒頭のワンシーンにおける軍隊の行進シーンを見ただけで圧倒された。

キューブリック監督は完璧主義者としても知られているが、そのリアリティもさることながら、迫真への追及の中にも独特のタッチとユーモアが滲み出ていることがこの監督の作品の魅力だと思う。

この行進シーン一つにしても、まさにそんなキューブリック映画独特の迫力とユーモアが詰まっている。
よく深夜に放送している名も知らない映画をぼーっと見ていると、知らず知らずのうちに没入してしまうことがあるが、この映画も時間を忘れてハマってしまうような類の作品である。

初っ端から時間を忘れて見入ってしまい、気が付くと第一部が終了。この時点ですでに一時間半以上経過している。
えッ、やっと半分?この映画いったい何時間あるんだ?

まったく予備知識の無い状態で観始めたため、だいたい1時間半~2時間くらいだろうと踏んでいたのだが、あらためて時間を調べてみるとなんと3時間を越える大作であることをこの時点で知った。

これは完全な誤算で、全部観てしまうと子供たちを迎えに行く時間が遅くなってしまう。
しかたなく第一部終了時点でDVDを停止し車で五分の実家へ行くと、子供たちは二人ともお昼寝中。すぐさま自宅へ戻って第二部を観終えることができた。

子育て世代の男はなかなか忙しく、その中での「3時間」というのはとても貴重なものである。
妻にいわせれば、そんな貴重な時間を映画に費やすくらいなら家事をしろとのことだが、「時間を忘れて映画を見るくらいの心の休養もたまには必要だろう」と心の中だけで反論したのであった。

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