水木しげる先生の名言

「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などの人気漫画の作者であり、世の中に妖怪文化を広めた立役者である漫画家、水木しげる先生。

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戦争で死にかけて片腕を失い、復員後は片腕で必死に紙芝居や貸本漫画を描き続けましたが、なかなか報われずに40代半ばに売れっ子作家になるまで長い極貧生活が続きました。

現代の感覚でいえばとてつもない苦労人であるにも関わらず、水木サン(水木氏の一人称)の語るそれらの壮絶な半生は、実にあっけらかんとして、どこか底が抜けたように晴れやかです。

水木しげる先生の名言集

二か月くらいすると、切り落とした腕の傷口から、不思議なことにおっぱいのような「赤ん坊のにおい」がしてきたんです。生命が底のほうから湧き上がってくるようなそのにおいを嗅ぎながら、「これは再生のにおいなのかもしれない」と、希望が湧いてきました。

水木氏はラバウルへ出征中、偵察部隊として行軍している最中に敵の奇襲を受けて、奇跡的に一人命からがら逃げ延びます。その後マラリアを発症して療養中に爆撃を受けて負傷。
左腕を肩の下から麻酔なしで軍医に切り落とされたそうです。壮絶ですね…。

 でも、本人にしてみれば生きて帰れたことこそが重要で、片腕のことはたいした問題じゃなかったんです。「なくなったものはしょうがない、まだ右腕が残っているんだからどうにかなる」と思っていました。

終戦の報をラバウルで聞き帰国。家族や周囲は片腕を失った水木氏の生活を心配しますが、本人は落ち込むことはなかったと語っています。

もう人間の生活ではない。テレビも十年来みたこともなく、散歩は一日十分しか許されない。ぼくはもうこんな生活を長くつづけようとは思わない。
人間はやはり、ゆっくりめしを食い、ゆっくり糞をするべきだと思っている。

長い下積み生活の末、「テレビくん」で週刊漫画誌にデビュー。その後、「ゲゲゲの鬼太郎」が人気を博し、テレビアニメ化されて全国のお茶の間に知れ渡ります。
超多忙な日々が続き、多いときで十一誌も連載を抱えていたそうです。

怠け者になりなさい。

近年水木先生がよく使う言葉で、ある程度年をとったら怠けることも大切で、そのために努力できるときにはうんと努力しておきなさい、という意味らしいです。先生、端的すぎてちょっと分りにくいです・・・。

しないではいられないことをし続けなさい。

他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。

好きの力を信じる。

「好きなことをするべし」とは、他でも耳にする言葉ではあります。
しかし幼いころから「好きなことしかしない」という自分ルールを堅持して、戦争での負傷や数々の失敗、長い不遇の時代を通してそのルールを通してきた水木氏。その結果として紫綬褒章と旭日小綬章を叙勲されたのだから説得力が違います。

そして水木氏はこうもいっています。

才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

人一倍の努力を懸命に続けたのに報われなかった下積み時代。そしてがんばっても報われず業界から消えていった仲間たち。

そんな経験を経てきたからこその言葉です。時にはあきらめも肝心ってことですかね。

水木サンは現在「幸福観察学会」の会長でもあるんです。会員は水木サン一人です。この会は水木サンの何十年もの経験の中で幸せな人と不幸な人を観察し、人間が幸せに生きるためにはどうすればいいのかを考えるために発足したものなんです。

発足当初は、水木サンが確立した「幸せになる方法」を世に広めようと考えていたんですが、最近はもっぱら自分の幸せにしか興味がないんですよ。

もう水木サンを幸せにする流れができてしまっているんですわ。水木サンの幸せは、人の幸せを超越しているんですわ。

現在、御年93歳になられる水木先生はとても幸せなようです。

妖怪というのは、世の中の摂理や人の世の道理の、少し外に存在するものなのではないかと思います。

水木氏ご自身でもおっしゃっていますが、長い年功を経てお年を召された水木サンもまた、常人離れした妖怪チックな存在になりつつあるようです。

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