「路上」(On the Road)の名言集

狂騒のアメリカを生き急いだ世代

「路上」(原題:On the Road) ジャック・ケルアック

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作者の経験をもとにした自伝的小説で、1940年代~50年代のアメリカ大陸を仲間たちと共に車やヒッチハイクで放浪する物語です。

登場人物たちのモデルとなったのは、ケルアックをはじめとして、アレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズ、そしてニール・キャサディなど、ビートジェネレーションの伝説的な詩人や作家たち。
1997年にはニールの半生を描いた映画「死にたいほどの夜」が公開されました。

「路上」は1957年に出版され、その後60年代に巻き起こるヒッピームーブメントの礎となり、「ヒッピーの聖書」とまでいわれたそうです。

主人公のサル・パラダイスの視点から語られる、即興的なジャズにも通じるその文体からは、当時のアメリカにもうもうと立ち込めていた熱気や人々の狂気を感じることができます。

「路上」から印象的な名言を紹介します。

ディーンは路上放浪には打ってつけの男だ。というのも彼は実際に路上で生まれたからだ。

物語は主人公のサルの視点から見たディーンを中心に語られます。

そして、実際にこのようにしてぼくの路上放浪の経験が始まったのだ。それから始まった出来事はあまりに風変わりなので、語らないわけにはいかない。

西部へ旅立つことを決心するサル。

 それに、彼の「犯罪性」は、すねたところや嘲笑的なところがなく、アメリカ人の喜びを頭から肯定して熱狂的に爆発させるようなものであった。それは西部特有なものであり、西風であり、大平原の抒情詩であり、久しく予言されていながらやってこなかったある新しいものなのだ(彼が車を盗むのは、ただ乗る喜びからなのだ。)

彼はおそろしく人生に興奮した若者にすぎなかった。彼はペテン師だったが、彼がペテンをやるのは、ただ人生をたっぷり生き、そうでもしないと彼には何の注意も払ってくれそうもない人々の中に加わって生きたいからにほかならなかった。

作中、ディーンのことを「神聖な詐欺師」と表現しています。ディーンのモデルとなったニール・キャサディに作者が抱いていたのは、ある種の信仰に近い友情だったのかもしれません。

そちらの方向に行きさえすれば、どこかに、女の子も、夢も、あらゆるものも、きっと存在するのだ。その方向のどこかで、真珠がぼくの手に入るのだ。

旅と未来への期待を膨らませるサル。

彼の動作は完全に気狂いじみていた。まるで一時にあらゆることをやろうとしているとしか思えない。頭を上下左右にゆすぶり、けいれん的にはげしく手をふり、早足に歩き、坐り、足を組み、それをほどき、立ちあがり、手をこすり合わせ、服のボタン隠しをこすり、ズボンをひっぱり、上を見上げて「ははあ」といい、急に眼を細くしてあらゆるものを眺める。しかも、その間中彼はぼくの胸をつかんで、喋りまくるという具合だ。

ディーンは常に精力的で狂ったように興奮したり動きまわる描写が多くあり、読んでいて大丈夫か?と思います。挙動不審者のようにも思えます(笑)一種の躁状態だったのでしょうか。

太陽が赤味を帯びだした頃になって眼がさめた。それは自分の生涯の一つの異なった時であり、最も奇妙な瞬間であった。自分が一体誰なのかも分らない ー 旅にとりつかれて遠く家を離れ、疲れ果てて、見たこともない安宿の一室に泊まり、蒸気の噴き出る音、古い宿の材木の軋る音、二階の足音、あらゆる物悲しい音を聞いているのだ。

ひびの入った高い天井を見詰めながら、奇妙な十五秒ばかりはじぶんが誰なのか本当に分らなかった。

旅の途中、こんな感覚に襲われることってありませんか?

ディーンがカーロ・マークスにあったのはその夜だった。ディーンとカーロ・マークスとが出会った時、大変なことが起った。二人は鋭い勘の持主で、たちまち相手を見てとった。二つの突き差すような眼差しが二つの突き差すような眼差しをのぞきこんだのだ。おそるべきペテン師は輝くような心で。憂いにみちた詩的なペテン師、カーロ・マークスは暗い心で。

「おれたちは、もう眠らねばならんぞ。機械を休めようぜ」

「機械を休められるものか!」

カーロはひどく甲高い声で叫んだ。一番鶏が鳴いた。

ディーンとカーロという二人の奇人が出会ったとき、化学反応がおきます。二人は何日も眠らずに奇妙な問答を朝まで続けます。ちなみにカーロのモデルとなったのは「吠える」で有名な詩人、アレン・ギンズバーグです。

空中にただよう神聖な花々なのだ。ジャズ・アメリカの夜明けのこれらの疲れた顔という顔は。

二人はジャズ酒場での狂騒的な演奏に熱狂します。

前途は遠かった。しかしそんなことはどうでもよい。道路が人生なのだから。

彼らの人生は破天荒で無軌道なようにも見えますが、ある種の愛情に満ちているように感じられます。
それは「寛容さ」とでも表現したらよいでしょうか。
どんな人間も、どんな人生も、どんな思想も、アメリカ的なオープンさと親しみを持って肯定し、親友としてしまうような無差別的な寛容さです。

その寛容さゆえにヒッピーたちの生き方にフィットし、支持を集めたのかもしれません。

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