応仁の乱の西軍総大将・山名宗全~その人物像~

戦国の世の幕開けとして知られる応仁の乱は、各地の諸将が東軍と西軍に分かれて争い、京の都を灰燼に帰しました。

その西軍の総大将として知られる山名宗全。

現在の山陽・山陰地域を領国とし、室町幕府の宿老として権勢を振るいました。

顔が赤く、政治よりも専ら軍事方面へ力を注ぎ、激情・直情型の剛毅な性格などは、三国志の猛将・張飛のイメージと重なるところがあります。

大河ドラマ「花の乱」より 萬屋錦之助演じる山名宗全

大河ドラマ「花の乱」より 萬屋錦之助演じる山名宗全

将軍に対してさえも歯に衣着せぬ言動だった宗全。

その人と成りはどのようなものだったのでしょうか。同時代の記録から探ってみたいと思います。

記録から浮かび上がる”山名宗全”の人物像

山名金吾は鞍馬の毘沙門の化身
鞍馬の多門は赤面顔、利生物に接し人間に現ず
方便門を開けば真実の相あり、業は修羅に属し名は山に属す

「狂雲集」より

同時代を生きた一休宗純が「狂雲集」の中で宗全を評しています。

顔が赤く戦いを好む性格から、宗全は毘沙門天の化身であるとしています。

※金吾 武官の官位

※利生 仏・菩薩が人々に与えるご利益。

山名金吾攻るとしてならずと云ことなく、戦として勝たずと云事なし
其上大国数多領し、一族子供沢山に持て、諸大名をむこにとり、その身政務にかかはらずありければ
将軍を始め諸大名達、彼が心に背かん事を欲せず、今の世に肩を双ぶる人なくぞ見へし

「嘉吉記」より

戦では連戦連勝。領国も広く、一族の子女を他大名家に嫁がせたり婿をとったりして人脈を広げて権力を振るっていました。その権勢は世に並ぶものなく、諸大名はもとより時の将軍でさえも多少の横暴には目をつむって顔色を窺っていたようです。

およそ例と言う文字をば、向後は時という文字にかえて、お心得あるべし

「塵塚物語」より

今後は“例”という字を“時”に置き換えて心得てください。

応仁の乱の最中に会談したある公家の大臣に対して宗全が言ったといわれる言葉。

この公家が古い先例を多く挙げて、宗全を諌めようとしたところ、宗全は「先例より、いまこの時こそが大事」とこのように言い返したそうです。

古いしきたりや先例に捉われず、臨機応変に物事に対応する術を持っていたからこそ、権力や人心を集めることができたのではないでしょうか。

宗全はたびたび横暴な振る舞いもあったそうですが、部下からは慕われていたそうです。

赤ら顔の偉丈夫で、直情型の性格。部下からの信望も厚い連戦連勝の将の中の将。

管領の細川勝元との対立が全国の諸大名の家督争いと結びついてしまい、戦火が拡大。結果的に下剋上の戦国時代の幕を開けてしましました。

応仁の乱を引き起こしたイメージが強いですが、ひとりの将、ひとりの人間としてみた場合、とても魅力的な人物であり、勇猛な戦国大名のはしり的な存在といえるかもしれません。

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