現代社会にこそ響く「老子」の教え~その①~
老子は古代中国の思想家・哲学者で、紀元前5世紀ころの人物とされています。
あまりに古い時代のため、詳しい生没年や実在性もはっきりしていないそうですが、後世に残った書は現代に至るまで広く読み継がれています。
紀元前5世紀といえば中国は春秋・戦国時代、日本はまだ縄文時代ですが、仏教も伝来する前の古代であるにも関わらず、その明晰で理知的な思考には驚かされます。
2500年もの間読み継がれてきたのは、「老子」が物事の本質を捉えた書だからでしょう。
古代というと混沌とした時代のイメージがありますが、もしかしたら複雑な現代よりも深い知恵に満ちていたのかもしれません。
「老子」は、現代の複雑な社会に生きる私たちにこそ必要な、物事の根本を教えてくれます。
そんな「老子」の名言を紹介していきたいと思います。
物事の名前ではなく、その相や本質を見る
道の道とすべきは常道(じょうどう)に非ず。
名の名とすべきは常名(じょうみょう)に非ず。名無し、天地の始めには。名有れ、萬物(ばんぶつ)の母にこそ。
「老子道徳経」体道第一より
~ 人々が道と考えているもの、物事の名前だと考えているものは、単に人が便宜的に名付けた仮のものであって、未来永劫変わらないものではない。
そもそも天地の始めには名前というものは存在せず、万物の母である天地が生まれて初めて名前も生まれた。 ~
あらゆる物事に名付けられた名前は、仮のものだと老子は説いています。
人間はコミュニケーションの道具として「言葉」を発明し、あらゆる事象を理解するために「名前」をつけましたが、同時に言葉で観念を縛ってしまい、その本質を見ることをしなくなっているのかもしれません。
「なんでも言葉だけで理解せず、本質を見ろ」
といったところでしょうか。
老子は、天地を生んだ道、万物を生んだ天地をその身に体することであらゆる事象の働きや本質をみることができると説いています。
老子や他の道家の説く「道」にはいろいろな解釈がありますが、「道」とは、そもそも始まりから終わりを示す言葉らしく、天地すなわち世界が始まってから終わるまでの理(ことわり)と理解することもできます。
表面的なものや言葉尻ばかりに目が行きがちな現代ですが、物事をできるだけ根本から捉えるべきという示唆かもしれません。