意外と多い仏教由来の四字熟語
わたしたちが日常的になにげなく使っている言葉の中には、仏教に由来するものが意外と多くあることをご存知でしょうか?
普段あまり意味や由来を意識することのない仏教由来の四字熟語について紹介したいと思います。
仏教・仏典に由来する普段使いの四字熟語
以心伝心(いしんでんしん)
日常的には、言葉を使わなくても心と心が通じ合っていることを表すときに使います。
これは「心をもって心へ伝える」と読み、もともと仏典由来の言葉のようです。
仏教の中でも特に禅宗で重んじられている考え方で、言葉や文字による教えにとらわれていては悟りの境地に達することはできず、言葉の概念ではなく体験を通して自ら真理を悟ること、師から弟子へ言葉ではなく心を伝えることの大切さを説く言葉です。
同じ意味の言葉に達磨大師の「不立文字」などがあります。
言語道断(ごんごどうだん)
日常的には、あまりにもひどいこと、とんでもない、という意味で使われています。
「人の物を盗むなんて言語道断だ」等。
これももともとは仏教用語であり、上述の以心伝心と似た意味をもっています。
「言語の道は断たれている」と読むそうで、
仏教の真理を言葉で言い表すことはできない、言葉によってそれを伝える道は断たれている、という意味らしいです。
概して仏教では”言葉”というものを”観念を固定してしまうもの”として、真理や悟りへ至る上での障害として否定的にとらえているようです。
四苦八苦(しくはっく)
とても苦労している様子を表すときによく使われます。
「新しい仕事に四苦八苦している」等。
この言葉の本来の意味は、生・老・病・死の四つの苦しみを「四苦」といい、
そこに怨憎会苦(憎い者と会う苦しみ)、愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)、求不得苦(求めても得られない苦しみ)、五陰盛苦(人間は迷える存在であるという苦しみ)の四つを加えたものを「八苦」というそうです。
この世の一切の苦しみといったところでしょうか。
自業自得(じごうじとく)
自分の業(した事)は自分に返ってくるという意味で、日常的にもよく悪い意味、否定的な意味で使われます。
「こんな結果になったのも自業自得だ」等。
これは仏教の基本的な考え方で、今の自分の状況はすべて自分の行いの結果だと考えなさいという教えからきた言葉のようです。
阿鼻叫喚(あびきょうかん)
人々が泣き叫んで苦しんでいる様子を表す言葉で、普段あまり使いませんが、活字としては時々使われます。
「戦乱によって人々は阿鼻叫喚の渦に巻き込まれた」等
これは仏教で説かれる八大地獄のうち、阿鼻地獄と叫喚地獄が合わさってできた言葉だそうです。
地獄の炎に焼かれて、とにかく苦しんで泣き叫ぶ様子を表しています。恐ろしいですねー。
他力本願(たりきほんがん)
自分で努力せずに他人の力に頼ろうとすることを表す言葉として使われます。
「あの人はいつも他力本願だ」等。
もともとの仏教用語としては全く違う意味らしく、
他力本願とは、阿弥陀如来が立てた本願(誓い)のことで、「人間は自分では悟ることはできないが、南無阿弥陀仏と唱える人が極楽往生できないならば私は仏にはならない」という内容の誓いらしいです。
「迷える私たちでも阿弥陀如来の立ててくださった他力本願があるから、それを信じて南無阿弥陀仏を唱えなさい」といった具合で使われていたようですが、いつのまにか”人任せ”という否定的な意味に変化していったようです。
この他にも由来を調べてみると実は仏教から来ている言葉が意外に多くあります。
それだけ無意識のうちに仏教が日本の文化や生活に深く根差しているということでしょうか。
何気なく使っている言葉の本来の意味や由来を調べてみると、意外な意味が隠されていたり面白い発見があるかもしれません。
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