日本語ラップの起源はどこまで遡れるか?~ラップの先駆けは江戸期にあった?

今ではメジャー楽曲にもかなりの頻度で取り入れられているラップ

言葉の韻を踏みながらリズミカルに話すように歌う歌唱法は、今では普及して当たり前のようになっています。

日本においてヒップホップ以外のジャンルにも大きな広まりを見せたのはDragon Ashが売れ出した2000年前後からでしょうか。

ラップのもともとの起源は1960~70年代のニューヨークの黒人文化とも言われ、それが日本にも波及した形ですが、日本におけるラップの起源はいったいどこまで遡れるのかを検証したいと思います。

450aa0ca6ac5cd161386c90c5e27f426_s

個人的な話になりますが、私自身の年齢はだいたい日本におけるラップの普及の歴史と一致します。今30歳代くらいの人たちは皆、ラップの広がりを肌で感じてきた世代ではないでしょうか?

憶えている限り私が一番最初にラップ・ミュージックに触れたのはスチャダラパーです。
90年代初めで小学校高学年~中学生くらいだったと思います。どういう経緯か憶えていませんがカセットテープをなぜか持っていて家でけっこう聞いていました。

その後「DA.YO.NE」が全国的に流行って、様々な方言バージョンがテレビやラジオで流れていた記憶があります。
私たちの世代では、よほど早くからラップ・ミュージックに注目していたBボーイ以外はだいたい似たようなものだと思います。

なのでスチャダラパーが日本におけるラップの先駆者かと思い込んでいましたが、調べてみると実はそれよりもかなり以前に遡れることが分かりました。いったいいつ頃まで遡れるのでしょうか?

ラップの起源は日本にあった?

日本語ラップの起源は諸説あり、一説には1985年に発売された吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」とも言われています。

田舎暮らしの若者が自身の境遇を自虐するこの歌は、歌唱法だけでなく社会や境遇に対する反抗という意味でもたしかに日本におけるラップの先駆けと言えるかもしれません。
またそれ以前にも80年代初頭のYMO佐野元春の楽曲にもラップが部分的に取り入れられているようです。

しかし驚くべきことに日本におけるラップの起源はさらに昔、それもアメリカでのラップの発生よりも遥か以前の江戸時代末期にまで遡れるという説もあるのです。

それは願人坊主と呼ばれる大道芸人たちが江戸時代末期から明治期にかけて広めたといわれる「あほだら経」という唄・話芸です。

時代劇でも目にすることがありますが、当時は門付(かどづけ)といって芸人や物乞い、時には浪人なども民家などの門口に立ってその家を祝うことばを歌うことで金銭を得ていました。

「あほだら経」はそんな風習の中で生まれた世事や風刺をふんだんに取り入れたウケ狙いの唄の一種です。

凡そ世の中ないもの尽し、多い中にも、今年のないものたんとない、

上巳の大雪めったにない。桜田騒動途方もない

そこでどうやらお首がない。それに少しも追手がない。

一人や二人じゃ仕方がない、お首がどこかへ失せてない、

お駕籠ももあっても釣手がない、ご番所どこでも留め手がない。

茶屋小屋芝居行きてがない、唐人噺し丸でない、

道中飛脚絶え間がない、伯耆の噂も嘘でない。

(以下略)

Wikiより抜粋

木魚の軽快なリズムに合わせて唄われる口語調の歌唱法。ふんだんに韻(ライム)を踏んだ歌詞。そして時勢や権力に対する鋭い風刺(?)。

ラップの特徴を全て含んでいるということができます。

70年代初頭にアメリカで誕生したラップはアフリカの伝統音楽や牧師や黒人指導者たちのスピーチにそのルーツがあると言われていますが、実はそれより100年以上前の日本で(ラップという名称こそ無かったものの)すでに誕生していたのです。

そして願人坊主たちが生み出した「あほだら経」の背景には、それまでの日本が培ってきた今様や踊り念仏、民謡などなど、メロディも忘れ去られてしまったような昔から連綿と続く多様性と創造性に溢れる音楽文化があったのです。

ラップやヒップホップというとアメリカの黒人たちがそのメインストリームにふんぞり返っていて、日本のラッパーというのは世界的にはおそらく亜流と見られていたり、黒人の真似事だと思われていて立場が低いようにも思われます。

しかし日本人は誇りを持って「ラップの起源は日本の“あほだら経”だ」と声を挙げて高々とラップを歌い上げてもいいように思います。

スポンサーリンク
adsense
adsense
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
adsense

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です