「人は死ねばお山さ行ぐ」~人は山に彼岸をみるのか?

風が冷たいこの季節。仕事で外回りをしていると、北アルプス山脈に積もった雪が陽光を照り返しているのがふと目に入ることがあります。

富山平野から仰ぎ見るその偉容はずっとそこに住んでいた者でさえも溜め息がでることがあり、古くから立山が信仰の対象となっていたのも頷けるような気がします。

山に対する信仰といえば、青森県の恐山も有名で、私も数年前に一度、恐山大祭の日に訪れたことがあります。

「人は死ねばお山さ行ぐ」というのは青森県の下北地方に伝わる言葉で、“お山”というのは恐山のこと。恐山は古来より信仰の対象となっており、この地方では人が死ぬとその魂は恐山に集まると言われているらしいです。

恐山大祭の日は多くの人々が参拝に訪れ、名物のイタコ小屋には行列が並んでいて、地元で厚い信仰を受けていることが実感できました。

山を信仰の対象と見るいわゆる山岳信仰は、アジアを中心として広くみられるそうです。
神仏に対する信仰には縁がない私でも、こういった山を崇める気持ちは個人的に理解できるような気がします。

仕事や日常に疲れてふと見上げる山に対する感情は、憧憬に近いものがあります。

下界には様々なしがらみや義務や不安要素があり、がんじがらめで身動きがとれないような状況ですが、人を容易に寄せ付けない峻厳な冬の山々は、清浄でどこか甘い世界のように感じます。

そこは生物が存在できない危険な世界なのかもしれませんが、人の逃避願望を掻き立てるような魅惑を秘めています。
あらゆる社会的な義務や不安をすべて捨てて、あの清浄な世界に行って見たいという衝動。
しかしそれを捨てきれないのが生きている人間であり、死んで初めてあの世界に行ける。

「人は死ねばお山さ行ぐ」という言葉にはそんな憧憬も込められているのかもしれません。

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コメント

  1. lavandeblanche より:

    大河ドラマに関して 記述をネット上でさらっておりました。
    私と同じ趣向の方のようにお見受けいたしました。

    私も黄金の日々や花の乱が今でも忘れられずにいます。

    で こちらの記事も目にとまりました。

    秋田にも 潮來に近いような方々は沢山おります。
    しかも 秋田市内とか 男鹿市内とか 仙北地方とか あちこちの田舎の方に行けば必ず数名存在します。

    私が実際にお目にかかった女性は 仙北地方の方であったことのない私の病気のことを 亡くなった私の叔母を通して的確に当てて尚且つ 身体を治すことに専念するようにと叔母の伝言をしてくれたのでした。

    何となく ふらりとやってきて なんとなく 書き込んでしまいました

    失礼いたしました。

    • カネラ より:

      コメントありがとうございます。
      秋田の方なんですね。
      恐山の帰りに立ち寄った、男鹿の入道崎の夕陽がきれいだったことを思い出しました。

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